人の死、こと長く一緒に暮らしていた人の死というのはとても辛いものです。
そんな死に直面している最中、故人を偲ぶとは関係無いことで気を落としたくないものですが、よくお葬式にまつわる親戚の揉め事があるという話聞きますよね。
僕もそういう話は周りからウワサ的に聞いていて、都市伝説の一つくらいに思っていたのですが、まさにそんな体験を最近しました。
若干タブーなのかもしれないですが、お葬式にまつわる問題を実際の私のケースを元に分析して、願わくば同じシチュエーションが生まれないよう、もしくは同じシチュエーションになったとしても上手くことが運ぶのを願って、僕のお葬式に待つわる知見“funral knowladge”をブログに残しておきたいと思います。
突然の危篤、実家に帰ってすぐ出くわした小競り合い
平日の朝7時。妹からの突然のFaceTimeで目覚め、目に飛び込んできたのは、95歳の祖母の息も絶え絶えの表情。
急いで身支度をし、最短で東京→熊本行きの便を奥さんにとってもらい、高いお金を払って10時のチケットを確保。
縁起でも無いからと、喪服は持たずに家を飛び出して羽田空港に向かいました。
実家にいた18年を共に暮らし、初孫ゆえに愛情をたっぷり注いでくれたばあちゃんが危ない。
離れて暮らしていた母方の祖母は僕がまだ20代だった数年前に他界し、僕はその死に目には立ち会えなかった。
前々から危ないと聞いていながら、仕事や東京での暮らしを優先して実家に帰ることをサボっていたために、十分なお別れができなかったことをとても後悔しました。
今度は同じ後悔はすまい、とすべての予定を投げ出して最短で家族のもとに。
でも飛行機搭乗の直前、母からのLINEで自分が間に合わなかったことを知り、機内では涙が止まりませんでした。
1時間半のフライトで熊本に到着した頃には気持ちを一旦落ち着けて、まずは葬儀場へ。
すでに会場に運ばれた祖母との対面は、今までにない種類の緊張。
父と母もいる手前、まだ感情を解放する時ではないと、その時葬儀のあれこれを打ち合わせていた父に混じり平静に。
どうやら祖母の生前の希望で通夜などはせず家族葬にしたいと言っていたそうで、装飾なども必要最小限に抑えた式にすることでほぼほぼ話がまとまっていたようでした。
そこに現れたのが父の妹、僕も小さい頃からお世話になっていた叔母さん。
祖母がほぼ女手ひとつで父と叔母を育て、残る唯一の血縁であるこの兄妹。
この二人(及び二つの家族)が、ちょっとした小競り合いをはじめます。
ポイントはお通夜を行うかどうか
一言で言うと、お通夜の有無で意見が食い違っているようでした。
お互いの主張をまとめると
父(兄)
祖母の意向を汲み、家族葬としたい。式も必要最小限のもので良い。
叔母(妹)
祖母ときちんとお別れしたいと言っている友人・知人がいるから通夜をやってほしい。式もあまりにも寂しい有様だから、しっかり送り出してやりたい。
お葬式のGOALをどこに置くか、お葬式は誰のためのものか?という前提に対する捉え方によって意思決定は変わります。
父(兄)は明確に祖母目線での式を、叔母(妹)は残された人たち目線で式を捉えていました。
これらに正誤はなく、どちらも考え方としては成立するものです。
この時僕は間に入ってそれぞれの主張を聞いた上で、60年近く連れ添い看取った、喪主である父(兄)の祖母目線での決定を尊重しようと促し、いったんは着地します。(既決事項でもありましたし)
この時の叔母(妹)はやはり納得はしておらず「決める前に聞いてほしかった…」と言い残し、泣く泣く決定をのみます。
叔父の登場で親戚同士が揉めだす
決着したかに見えたゴタゴタが、その後登場した叔父(叔母の夫)によって一気にひっくり返されます。
祖母が他界したのが水曜日の朝、葬式は金曜日の午前に行われることが決まったのですが、それまでの2日間、家族葬で通夜をしないとは言え弔問者をお迎えするのは自由です。
どうやら通夜をしないことに反対していたのは叔父だったようで、彼は登場するなり不服さと尊大さを全開にしながら取り決めたことにケチをつけ、叔母一家、父一家(それぞれ私を始め大人となった孫たちが4人ずついる)に勝手にあれこれ指示を出し始めます。
- 通夜をしないなら葬式の日まで常に受付に立て
- 弔問者をきちんとお出迎えできるように香典返し、お茶の用意など今すぐ準備しろ
- 喪服を着ないなど言語道断、私服でウロウロするな
と言った具合で、特に私の家族は遠方に住む私や弟など着の身着のまま駆けつけていることもあり、到着するなり周囲は対応に追われ続けます。
この叔父が極めて曲者で
- 見栄っ張り、不遜、尊大、絵に描いたような九州男児
- 亭主関白、恐怖支配に偏重傾向のある父親像
- 地元の自動車販売で数十年常にトップセールを走り続けてきたサラリーマン
という属性の人で、僕自身小さいころはよく遊んでもらいましたが大人になってからは敬遠していた相手でした。
このドタバタを起点に、
- 叔父の職場同僚が大挙し、葬儀場が宴会場と化す
- 喪主を無視して繰り広げられる弔問者対応
- 弟と叔母の怒鳴りあいの喧嘩
など、自体はどんどんとカオスな方向に向かいます。
掘り返すほどに湧き出る、親戚間の遺恨
僕も実家を離れて10年以上が経ち、その場にいる誰よりもフラットな目線で、第三者的な立ち位置を取りやすいポジションにいる自覚がありました。
僕の家族は誰一人として飲めない中、僕だけが唯一東京暮らしの中で飲めるようになっていました。
この親戚間を橋渡しし、葬儀までの進行を適切にファシリテーションできるのは自分しかいないと思い、お酒を一緒に飲みながら叔母夫婦との対話を試みます。
本音と建前を分けて、理解を示す
叔母や叔父がなぜ通夜を重要視したのか、ある程度仮説がたっていました。それは
叔母(妹)夫婦
- 人とのつながりが大事、多くの人に見送ってもらうこと、そこにお金を惜しまず盛大に送ってあげることが祖母への手向けとなる(建前)
- 冠婚葬祭の1つであるお葬式は、地場を大切にするサラリーマン一家にとっては1つの重要な社交場。見栄を張る場でもあり、対外的な目線を気にしなければならない(本音)
というそれぞれ本音と建前があるのではないかということ。
一方、父においても
父(兄)
- 祖母のことを純粋に想いたい。周りがどうかではない、親しき者だけできちんと祖母を送る儀式にしたい(建前)
- そもそも社会的地位が低く、経済的にも弱い立場であり、人付き合いも好きではない。できる限りこじんまりと、最小限で済ませたい。面倒なことにはしたくない(本音)
という本音と建前が見え隠れしていました。
そして当然、お互いの本音についてはなんとなく感じ取っていたのです。
僕は叔母夫婦の建前に理解と共感を示し、父が強引に決定してしまったことを詫ながら、本音の部分についても切り込んでいきました。
「自分も東京で働いていて、こういう冠婚葬祭では人付き合いの側面もあるので、なぜ通夜をする意義はわかる」と。
そうするとぽつりぽつりと叔母が本音を話し始め、複雑な家庭に生まれてこれまでの父(兄)との長い遺恨について語り出しました。僕も初めて聞く話が多く、同情する内容もたくさん出てきました。
我が父親への恨みつらみを受け止めながら、共感と理解を示す甥との対話を通じて叔母はずいぶんと胸のつかえがおりたような気持ちになっていたようです。
少し話しすぎた、言いすぎてしまった部分を後から悔いたようでしたが、それでも長年のわだかまりが解けたという言葉を聞いて、叔父のこれまでの言動も理解することができました。
叔母を間近で見つめてきたからこそ、父への募る遺恨や許せないことがたくさんあったのでしょう。
何事もなく終えられたお葬式
それ以降、ヒヤヒヤする場面は多々ありましたがなんとかそれぞれの不満を受け止めつつ、大きな揉め事に発展することなく葬儀を迎え、祖母の身体は灰になり、一同会す食事を終えて3日間の調整業務は完了しました。
それこそ、故人を偲ぶ暇もなく慌ただしく時間が過ぎていきました。
このブログはちょうどお葬式から一週間経った頃に書いています。
僕が本当の意味で祖母の死を悼み、別れを告げられたのはお葬式から2日後、急遽土日で奥さんと立ち寄った温泉旅館の中でようやくというところでした。
結果的に何事にもならず良かったものの、自分がいなかったらどうなっていたか、もっと良い送り方はできなかったものか、ということを考えていて、その整理の意味でもこの記事を書いています。
本ケースにおける問題点
これは紛うことなき僕の実体験に基づくケーススタディです。
このケースから学ぶべきこと、問題はどこにあったのだろう?と考えていましたが、構造は極めてシンプルだったと思います。
①意思決定プロセスの問題
私が到着するなり直面した父と叔母の小競り合い。叔母の「決める前に聞いてほしかった」という言葉が象徴している通り、本プロジェクトのPMたる喪主(父)が、PMではないがほぼ同等の立ち位置にいる叔母に対して配慮できなかったところが1つの問題でした。
父が実現したいGOALを達成する上では、関係者の合意と協力が必須であり、最も影響力を持つ叔母を意思決定に巻き込むことをしなかったために合意と協力が得られず、むしろ反発となってプロジェクトの進行に悪影響を及ぼしたのです。
教訓:人が多いプロジェクトでは、関係者を上手に意思決定に巻き込むべし
②コミュニケーションラインの混線
父と叔母の家族にはそれぞれ4人の子どもがおり、それぞれ6人家族×2の主要関係者がいます。
- 犬猿の仲、もはやコミュニケーション不全の父と叔父
- 明確な主従関係がある父と叔母
- 父への不満を叔母や従兄弟にぶつける(僕の)妹
- 叔父を快く思っていない父側一家
と様々な人間模様があり、特に両家の唯一のパイプラインであった妹と叔母従兄弟間で虚実混交の情報が飛び交い、余計な誤解や悪い感情が生まれていたこともまた事実でした。
そもそも葬儀の取り決めについても妹から叔母へのリークが先行し、意思決定理由について誤った憶測が展開されたことが小競り合いの引き金にもなっていたのです。
組織やプロジェクトには大体において全体を混乱に陥らせる、困ったスピーカーがいるものです。
PMは全体の人間関係を把握しながら、どこでどんなコミュニケーションが行われているかを推測し、事実とそうでないことを明確に決定事項等の情報伝達を適切に行う必要があります。
この時父は自分の母を亡くし崩折れそうな状態であり、多方面と連絡を取りながらものごとを進めねばならず、適切な情報把握・伝達が不可能な状態に陥っていました。状況を考えれば無理もありません。
教訓:円滑なプロジェクト進行のためには、情報流通網の整備が必須
③信頼関係の欠如
①や②はテクニカルな問題ですが、③は日々の積み重ねの結果なのでとても根深い問題です。
父は叔母夫婦を軽んじていたきらいがあり、通夜をしたいと言ってきたことも、本音の表層的な部分を捉えて軽薄な考えだと切り捨てていました。
一方叔母夫婦も、父の生い立ちも含めて、自分の利益を重要視したり、お金に対してもケチな人だと考えていたため、意思決定の背景にある本質的な願いや、祖母と暮らした60年あまりの悲喜交交にまで想像は及んでいませんでした。
また父は、家族の中でも(特に妹)信頼関係を上手く築けていなかったことが拍車をかけて、余計に疑心暗鬼に陥っていたのだと思います。
教訓:日頃からの信頼関係なくして、プロジェクトの成功は無い
④相互理解の不足
じゃあどうすればいいの?という話で、①→②→③→④と徐々に本質的な問題に迫っていくわけですが、最終的にはこの壁にぶち当たります。
アドラー曰く人の悩みは人間関係の悩みしか存在しないと言ったとおり、異なる人格が共存する世界において問題が起きる原因の殆どは相互理解の不足によるものです。
相互理解を促すためには、ともかくコミュニケーションをとるしかありません。
それもただとればよいのではなく、日々の経験の中から想像しうる思想・思考・感情の引き出しを増やして、対話する相手のそれを想像しながら、共感し、受け止めるスタンスがなければ理解には至りません。
残念ながら世の中にはこのことに気づいていない人もたくさんいると思います。
教訓:汝の隣人を愛すべし
実家を離れ、都会に暮らす人へ
僕は18歳のときに実家を離れ、関東の大学に通い、そのまま東京で就職して今年34歳になります。
良い会社と人にめぐり逢い、たくさん経験を積んで、組織論やマネジメントについても色々と試行錯誤してきました。
今回のお葬式で繰り広げられた親族のトラブルは、ある意味で仕事で経験したことに比べれば極めて初歩的な問題、よくある事象として見えました。
それはたまたまその経験に学ばせてもらった幸運があったからこそであり、地方と東京では情報も人も質が違う現実がある中で誰しもがそのスキルを持っているわけではありません。
僕と同じような境遇の人は、東京をはじめ都会には多くいらっしゃると思います。
家族の死は避けて通れない事象です(今のところは)そして、帰る故郷が田舎であるほど、私の身に降り掛かったような問題はしばしば起こることでしょう。
死を目の前にして自分自身も辛い局面ではありますが、ぜひ同じような壁にぶつかったときにこそ、普段遠方にいる親族でしかできない立ち振舞があり、それが家族や親戚の救いになる可能性があるということを理解して、大切な時間を能動的に生み出していってもらえたらいいなと思います。
大切な家族の死について思うこと
私自身は、長く一緒に暮らした身近な家族の死は実質初めての経験でした。
少し離れたところで暮らしていた親族、奥さん側の親族の死には何度も対面してきましたが、やはり考えること・感じることは大きく異なっていました。
長く一緒にいれば、人間お互いに大きく影響を与えあうものです。
影響を与えやすいからこそ、そこには様々なif・可能性があり、可能性があるからこそ後悔が生まれやすい側面があります。
私は早くに実家を離れてしまい、ろくに帰らずおとなになってから十分な時間がとれたかで言うと甚だ疑問です。
葬儀後、2日間ほどお休みをとって、温泉に浸かりながらずっと祖母のことを考えました。
出た答えは、祖母は幸せな人生を送り、命を終えたという結論であり、
その結論を支えるのは祖母本人がどう考えていたかということと、その周囲にいる残された親族がどう考えるかにかかっているということでした。
なので私は、祖母の幸せだった95年に思いを馳せ、その幸せな気持ちを胸にまたそれからの日々を過ごすことを心に決め日常へと戻っていきました。
また、葬儀を終えたその日、祖母を亡くした一家は久しぶりに全員が集まり、珍しくわずかのお酒も入れながら食事をしました。
その時に話したこと、その場の空気は今まで一家が体験したことが無かったような共感と理解と幸せに満ちた時間で、
それは祖母の死の悲しみ、それを取り巻くトラブルを乗り越えた結果たどり着いた境地であったように感じました。
死とは、失うプロセスではなく、種としての進化のプロセスだと気づきました。
この記事を読んで、少しでも感じるものがあったのなら、久しぶりに家族に連絡してみるのもいいかもしれませんよ。